諦念

時折、焦りを感じることがあります。症状がよくならない、時間を空費してしまっている原因は色ですが。

私も成人して数年が経ちました。現在実家に身を寄せていることもあり、親を通じて身の回りの人友人や同級生の近況が耳に入ってきます。しかし、状況が状況なだけに複雑な心境でもあります。あの人はもう看護師になってる大学院に進んでる公務員になったなど聞けば聞くほど、心の中の劣等感の残り火がゆらめくのを感じてしまいます。彼らの人生は順調で、私は汚泥に身を沈めるような生活を送っていると考えると、正直嫉妬すら覚えることは否定できません。

同時に、このような感情を彼らに向けることはお門違いであるということも理解しているつもりです。自分は他人の人生を正確に評価することなどおよそ不可能なのだと考えています。他人の苦楽を

他人が正しく量ることはできないと思うためです。彼らが私の経験したような挫折を克服したうえで現在を過ごしているのであれば、私は彼らを妬むことなどできないのです。

それでも割り切れない感情が顔を覗くことがしばしばあります。

テレビに幸せそうな家族や固い友情のような場面が出る時、

言い得ぬ感情に胸を握りしめられるような感覚を覚えます。そのため、家族との夕食の時間にテレビが流れると、身構えてしまい気分が悪くなったり吐き気がこらえきれなくなってしまうこともあります。自意識過剰なことは分かるのですが、それをみとめることを根底では拒んでいるのでしょうか。

そういう意味で私は精神的に大変未熟な人間であると常日頃感じています。人生における禍福を余裕をもって受け止めることができない自分の狭量さを恥じるばかりです。

思い付きで書いているので、そろそろネタ切れです。なんだかんだで読んでくださっている方がいらっしゃるようです。これはとても励みになることです。だからこそ私はできる限り、自分を冷静に分析して真摯に文章を綴ることが義務であると感じます。

こんなクソ長い文章になることも多いですが、前回みたいなしょうもない日記もしょっちゅう混ざると思います。あくまでも目的は日記ですからね支離滅裂な混沌とした日記ですがご容赦を

広告を非表示にする